こうして隔離生活が始まった訳ですが、訪中前は当日どこで何時に辿り着くか分からない不安でいっぱいでしたが、終わってみるとそれは隔離生活の始まりでしかなく、その長い長い14日間がとにかく苦痛でした。
隔離終了期間は2日前にPCR検査を受け(ここだけ口腔検査)陰性が確認されてからとなり、離陸後驚くほど正確な14日後となります。
私は後半の7日間を自宅隔離で希望しましたが、実はそれはかなわぬものとなりました。
というのも、自宅隔離の承認には居住地の大家さん、隣人、小区と呼ばれるマンション管理業者の了承が必要となるのです。
残念ながら3つの人的な協力を得られることはなく、その協調性のなさに破られて、私の後半の自宅隔離は潰えてしまいました。
しかし自宅隔離も自宅隔離で、玄関ドアを改造し、ドアが開けられたらどこかに通知される仕組みにされたり、噂では封鎖状態が分かるようにシールで隙間を埋められると聞いたりと、自宅だからといって自由である、ということではなさそうでした。
隣人の印象を考えるとベストな選択でもないかもしれませんが、環境が変えられるのは心情的には大きいともいえそうです。
さて、そのホテルでの暮らしは、8時、12時、夕方の6時頃に各食事がホテルの部屋前にある無機質なステンレス棚に置かれます。
やや時間を置いて、住人はホテルの扉を申し訳程度に開いて、受け取ります。
10時と14時には体温測定結果をドア越しに報告、食事の後は廊下の消毒と、扉の前に置いた部屋からのごみを回収するなど決まった時間に行動が促されます。
何だか精神的には囚人のような気持にさせられて、本当に気が滅入ります。
また、隣人を含めすべての人的な接触は徹底的に排除され、扉もゴミ捨てと食事を拾い上げる以外で開けることが許されません。
次亜塩素が噴霧された廊下及びそのステンレス棚は刺激臭で覆われ、とても自由とは程遠い状況が14日繰り返されます。
ホテルでは飲料水や、カップラーメン、お菓子、タオルなどの備品を交換依頼することができますが、中国語ができないと大変に苦労させられます。
ホテルの室内は私は気になりませんでしたが、それなりのランクですが、中国のホテルということもあり、気になる方は気になられるでしょう。
いずれにせよ、14日間完全な隔離体制となるため、とにかく気持ちを維持することが困難です。
日本食などをあらかじめ持ち込んだり、と工夫は皆さんされるようですが、それでも一つの部屋から一歩も出ることが許されない状況は、入院患者や囚人者よりも果たして厳しいもので、あたかも自分が感染者のように錯覚させられるほどです。
巷のニュースではこうした政策は必要だというような議論もあるようですが、何もここまでしなくても、と経験者であれば思うはずです。
もちろんこうした対応策で感染拡大が防止されることは間違いありませんが、ビジネスへの影響は思っているよりも大きいものとなりそうです。
私にとって一番衝撃だったのが、ホテルのWIFIと使用しているVPNの相性が悪く、一切つなげることができず、こちらのブログも更新ができなかったりと、散々な生活になりました。
今まで出張ペースで日中を往来していたような方達は、今後一筋縄ではいかなくなるでしょう。
中国ビジネスにとっても過渡期を迎えていると言えそうです。