嘘をつくという行為は決して称賛されるような行為ではありません。
しかし、ときに嘘をつく行為自体が批判の対象にならない場合があります。
それは優しい嘘と日本語では表現されますが、中国でも同様の表現、概念はあります。
誰かを守るため、第三者のための嘘、こういうものは確かに存在します。
中国でも日本でも嘘が上手な人はいますが、中国では嘘が下手な人が多いというのも私の印象です。
しかし、中国での嘘は話題のすり替えで嘘ではなくなってしまうこともあります。
例えばこんな話。
とある知人の会社で従業員が休暇届を出しました。
最近休みが頻繁なので、上長がどうしたんだと尋ねたところ、子供の面倒を見なければならないと伝えました。
しかし数日後に別の社員からこの従業員は別の会社で面接を受けていた、という噂を耳にするのです。
追及したところで、面接は受けに行ったがそれ以外の時間は子供の面倒を見ていた。
こういうはずですし、こうしたことは日常です。
また、こんなこともありました。
経費精算で不可解なものがあり、これは清算できないと突っぱねた総経理。
しかし、実際は現場でのトラブルでいくらか裏金が必要となり、その補填としていくつかの担当者が相談した上で、その清算金で補填をしていたことが発覚します。
日本人総経理にそのことを伝えても理解してくれない、でも現場サイドでどうしても少額の裏金で進めないとどうしようもない、そんなときもあります。
これは優しい嘘なのでしょうか、それともいけない嘘なのでしょうか。
中国ではこうした偽善にも似たような嘘もたくさん存在しています。