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2021-08-30
中国企業はなぜ運営を他人任せにするのか。その1。

温浴業界でもそうですが、中国企業はあれだけ大変な建築物の計画を自社で行うのに、運営はなぜか外部にアウトソーシングをすることが多いように感じます。

その話をする前に、まずは、日本と中国の建築事情の違いをまとめてみようと思います。

日本ではオーナーが何かの事業をやろうと決めた際に、設計会社や建築会社に相談することが多いのではないでしょうか。

いよいよ計画を実行しようと決断した時には、その施設のコンセプト等を設計会社と討論しながら、オーナーの考え方をその設計図書に盛り込みます。

実際の建築工事が始まればその設計図書に基づいて建築会社、ゼネコンに業務を委託するのが一般的で、建築現場にオーナーが自ら足を踏み入れるのは、内装工事の段階であることが多いはずです。

言い方は難しいですが、内装工事は素人が見ても理解しやすい側面があります。

本来は建築物を作り上げるにあたっては、構造など複雑な問題点も存在しますが、それらは専門外の人間にとっては理解しにくい部分で、これから来館してくれるであろうお客さんにとっても、あまり関係がないポイントです。

完成した建築物には様々なノウハウが詰まっていて、その全ての過程は専門外の人間が理解することは難しく(まあそれができたら自ら設計会社なり建築会社を立ち上げればいいわけで)、オーナーや利用者にとっては理解する必要がない部分であるとも言えるでしょう。

ところが、中国の場合、施主であるオーナーが建築設計や建築工事の初期段階からかなり直接的に指示を出したりすることがあります。

大きな商業ビル等は別として、温浴施設の規模であれば、ゼネコンへの集中発注ではなく、分離発注であることも多いのが特徴です。

なぜゼネコンへ集中的なアウトソーシングを行わないのか。(そもそも日本では建築ゼネコンをアウトソーシングするという使い方をしないかもしれませんね、それが当然のことなので)

中国の大手ゼネコンはほとんどが国営、もしくは政府系の組織であり、規模や母体が大きすぎるため、床面積で1万、2万平米レベルの単発建築物は相手にもしてくれない、対応ができない場合が多いのです。

あらゆる都市で開発が続いている中国では大手ゼネコンは大規模開発にしか興味を持ちません。

都市部の街の大規模な建築現場にあるゼネコンの看板などを見たことがあるかと思いますが、そうした大手ゼネコンに興味を持ってもらうのは、そのデザイン性や斬新な創造性などではなく、規模感が重視されるわけです。

私は以前、大手のゼネコンによる現場に入り込んだことがありますが、施主がかなりボヤいていたことを覚えています。

どういうことかと言うと、その現場のトップはほとんど現場にはいない形だけのトップで、現場に実際にいるリーダーを含めてほとんどが大手ゼネコンの外注先。

それもただの外注先(今の御時世では協力会社ですね)ではなく、下請けの下請けの下請け、ほとんど大手ゼネコンと直接的な関係性を持たないような企業まで紛れ込んでいて、現場施工が制御不能の状態に陥っていたからでした。

まさに看板こそ大手企業ですが、実際の作業者は価格ありきで集められた烏合の衆のようでした。

現場のトップはオーナー企業の社長との関係性によって実現したゼネコン工事を押し付けられた担当者、でしかなく、現場をコントロールするような能力もなければ、適当に現場の状況を見て、また別の工事現場に行ってしまうという状況だったのです。

全ての建築工程を目にしていたわけではありませんでしたが、工程会議などに参加してもその討論レベルはいい加減そのもの。

大手ゼネコンの仕事だということで緊張感と高揚感を持って現場入りしていたのですが、愕然としたことを覚えています。

結果、工期は伸び続け、オーナー側が大幅に超過した予算を抱えるという、とても残念な現場になってしまいました。

もちろんこれは私が経験しただけの偶然の話かもしれませんが、発注者であるオーナー側が遠慮しがちになってしまったり、想像していたものと異なる結果になることを懸念して大手ゼネコンを敬遠することも理解ができるところです。

また、規模感に関係なく、アウトソーシング、商取引において、相手を簡単に信用しないという日本と違う中国の習慣も起因し、大きな投資に対して第三者に丸投げする行為を嫌うのかもしれません。

とは言え、あらゆる第三者に警戒感を持ちながら建築工事の完成を目指して進めていくのは骨が折れることです。

先述したように特殊な専門知識を持ち合わせたスタッフを自社で集めることなど、簡単ではありません。

しかし、オーナー側は何とかそれを実行しようとするのです。

自らがイニシアチブを執りながら、そして極力外部に流れる予算を抑制する訳ですが、中国の習慣に慣れている中国人からすれば、そもそもそれをあまり苦境だとも思っていないかもしれません。