格差社会が叫ばれる中国ですが、その点は我々日本人が中国で日常に生活していても気が付かされるところです。
以前のように物乞いのようなものはメッキリ少なくなってきましたが、それでも蘭州ラーメンが10元前後で食することができる反面、となりのレストランではその5倍も10倍も価格差がある訳です。
今回はやや視点を変えて考えてみます。
タイトルにあるようなアナログの中年、としましたが、私もどちらかと言うと、いや酷いアナログ人間だと自覚はしております。
一方で中国では電子決済が主流化しており、アナログだと嘆いていては生活できないほどデジタル化が必須です。
デジタル化が急速に進んだ中国ですが、もちろんその闇に隠れた詐欺まがいの行為を働く人間もいれば、そのデジタル化の波に追いつけない人々がいるのは日本でも中国でも同じです。
なぜ格差社会とアナログ人間を同格に並べたかと言うと、急速な発展によって取り残された人々は経済しかり、デジタル化しかり、特に40代~50代の中年で多いように思うからです。
これも日本でも同様の傾向があるとは思います。
私の両親はこれよりはるか上の60代、70代になり、今も健在ですが、電子決済はおろかWi-Fiって何?というレベルです。
これは当然仕方がありません、彼らの幼少期はモノクロテレビに黒電話、コードレス電話だって、携帯電話だって、彼らからすれば【最近】とさえ言います。
一方の中国、こちらはそのデジタル化の波が日本よりもあまりにも急速でした。
私と同年代の30代後半の幼少期にまだモノクロテレビだったと言いますし、彼らの幼少期に両親が自動車免許を持っていたという話をほとんど聞いたことがありません。
逆に言えば日本の60年の成長をわずか30年で成し遂げてしまった訳で、単純にその成長速度が2倍とすれば、追いつくのは到底簡単なことではありません。
それに取り残されてしまった人を、私は多く見てきていて、特にデジタルの面では日本をも凌駕する中国ではそれらが致命的にもなるのです。
また別の話になりますが、50代、60代で運転免許を持っている人は中小企業の社長さんクラスの小金持ちくらいで、一般の民間人で運転免許を持っている人は日本の取得率に比べれば圧倒的に少ないです。
それが即ち経済格差に繋がるか、といえば、全くのイコールとは言えないかもしれないものの、少なくとも活動範囲が限られているという面で影響があることを鑑みれば、あながち間違いではないでしょう。