お年玉をもらえなくなってから、もうどれくらい年月が経つでしょうか。
お年玉がほしい、などと言えば周りから笑われてしまうどころか、お年玉を渡す立場となりました。
しかし、中国語に直訳すると红包に値するお年玉は中国では結構当たり前に大人ももらうようなものです。
例えば上司(経営者クラス)と部下の関係で红包を渡す行為は日本ではあり得ないどころか失礼とさえ感じますが、中国ではそれが全然有り得る光景です。
最初にこうした風習に触れた際には、红包をくださいと言ってくる部下に対して、また冗談を言っているな、と感じたものですが、しばらくすると、半分以上は本気の言葉であることに気が付きました。
ボーナスとはまたちょっと違う、感謝の気持ちなのですが、この红包の立ち位置は理解するのは非常に難しいものです。
グループチャット内で定額を支払い、人数を決めるとランダムで受け取った人に振り分けられる仕組みがあるので、それを利用することがあります。
ボーナスほど正確なものではなくても良いでしょうし、誰彼にいくら渡したという不透明性があるよりはすっきりして良いかなと感じているからです。
もちろん景気が良ければ定額を一律包みに入れて渡すのも良しですが、結局は金額がいくらだったなどと騒ぎだして不満を生み出すこともあるので、出して損したと思うくらいなら冗談めかして抽選式の方がよっぽど良い場合もあります。
月餅などと同じで、いくらもらえるか、は重要ではなく、もらえて嬉しいと思えるような仕組みづくりの方が重要な気がするのです。