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2021-11-24
ゼロコロナ中国で生活してみた雑感。

□ゼロコロナの緊張感

中国に入国してから3ヶ月が経過しようとしています。

ゼロコロナの中国と、ウィズコロナの日本や欧米。

何が正しいかを議論することではなく、それぞれを経験した私の雑感を書き連ねてみます。

日本ではショッピングモールや飲食店など、人がそれなりに集まる場所では、多くの方が今でもちょっとした緊張感を感じるのではないでしょうか。

中国でもかなり敏感な方は身構えることがあるかもしれませんが、感染者と接触する可能性からすれば明らかに緊張感がありません。

それもそのはず、ゼロコロナを目指す上での多くの代償は、日常生活からは見えにくいからです。

■自由と不自由のバランス

自由のための不自由さ、これは今を持って尚世界中のどこでも感じることでしょう。

我々日本では、完璧な不自由さと言うよりも、不自由と自由の均衡を保つギリギリのラインを常に模索し続けているように感じます。

一人ひとりが予防策を取ること自体は日本でも中国でも同じですが、周囲に感染者が要る可能性、そして濃厚接触者になる可能性が日本と比べれば圧倒的に低い中国では、その緊張感にはやはり違いを感じるところです。

ところが、中国ではゼロコロナを目指す上でのその不自由さが、どこか当たり前のようになってしまっているように感じます。

どういう政策をとったところで必ず不自由さを感じることは、今や世界中の誰もが感じることですが、それでもゼロコロナをテーマにするといつまでも脱却できなくなってしまいます。

他国の政策を否定することに意味はありませんが、少なくとも日中両国を渡り歩く我々のような企業には大変な痛手でもあり、これ以上にない不自由さからの脱却への見通しが、あまりにも立たないように思えます。

□どう方針を転換していくのか

この1年でお互いの政策の中で日常生活を送った中で、私が強烈に感じてしまうのは、一度でもゼロコロナを決めてしまうと、今度は後戻りができなくなってしまうことです。

どちらが正しいということではなく、ゼロに抑えるためのこの不自由さは、ボディブローのように少しずつ、少しずつ、結果として大きな負担をもたらしているように感じます。

しかし、多くの人々から政策の支持を受けるには激しい影響の差をも犠牲にせざるを得ない、そんな感じがしてしまうのです。

このままでは世界中からコロナウィルス感染症が消滅しない限り、世論の支持と、経済の開放を両立することができなくなってしまう懸念もあります。

影響を受けているのは他でもない弊社のような小さな会社だからかもしれませんが。